こんにちは。IVEです!
今回は山川民夫氏を取り上げます。

医学者として数々の功績を打ち立て、「東京大学」および「東京薬科大学」の名誉教授を務める山川氏ですが、ここに来て突然の訃報が報じられ世間の注目を集めています。
このことについて2018年10月14日に配信された「朝日新聞DIGITAL」は次のように報じています。
山川民夫さん(元・東京薬科大学長)が7日、
脳内出血で死去、96歳。喪主は長男・恒夫(つねお)さん。
生化学が専門で、
ABO式血液型は、
赤血球表面にある糖脂質で決まると発見。朝日賞、
日本学士院賞など受賞。文化功労者。
同紙が報じている通り、彼の死因は「脳内出血」でした。
今回は、96歳で死去された山川民夫氏について調べてみました!
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死去した山川民夫の嫁画像は?
冒頭でも触れた通り、山川氏の葬儀では長男の恒夫さんが喪主を務めます。
一般的に喪主を務めるのは、”故人に最も近い人間”です。
山川氏のケースで言えば、奥さんがそれに該当します。
ただし、配偶者が既に死去されている場合や離婚している場合は、子供が喪主を務めるケースもあります。
そこで、彼の私生活を調査したところ、晩年は奥さんと2人で暮らしていたことが分かったのです。
いまは妻と二人暮らし。
花鳥風月を愛する身軽な立場だ。
教授定年頃からはじめたゴルフに熱心で、
年間に四十回は出かける。厳冬でも 欠かさない。
八十人ものゴルフ仲間(研究者が大部分)の世話をやく。
研究だけが人生ではないぞという相変わらずの活躍ぶりである。
※「http://www.sendainiko.com/index.html」より引用
上記の通り、彼は定年後からゴルフを楽しむようになり、人生を謳歌していたようです。
ただ、奥さんの存在こそ明らかになったものの、顔写真や名前などは公にされていませんでした。
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山川民夫の経歴や高校はどこ?
東京帝国大学 医学部(旧)を卒業した山川氏は、1959年に同大学の教授に就任しています。
彼の経歴がこちらです。
1944年
東京帝国大学 医学部 卒
1951年
東京大学医学博士。1952年
東京大学 伝染病研究所 助教授1959年
教授
1966年
医学部教授
1982年
定年退官
名誉教授
東京都 臨床医学総合研究所 所長
東京薬科大学 教授
同 名誉教授
※Wikipediaより引用
東京大学の卒業していることは判明したものの、高校については一切情報が掲載されていませんでした。
そこで、さらに調査を進めたところ、「仙台第二高校」であることが分かったのです。
宮城県 仙台第二高等学校 人物一覧
山川民夫(中39回)
東京大学名誉教授
東京薬科大学学長
※Wikipediaより引用
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