【経歴】原爆ドーム画家:原広司が死去!若い頃の画像も

あの人の本名や経歴などのプロフィール

こんにちは。IVEです!

今回は原 広司(ひろし)さんを取り上げます。

”被爆者”としての経験から原爆ドームを描き続けてきた彼ですが、ここに来て突然の訃報が報じられ世間の注目を集めています。

原さんの死去について2019年4月15日に配信された「毎日新聞」は次のように報じています。

原爆ドームを描き続けた画家の原 広司さんが14日、
悪性中皮腫のため死去した。

87歳。

葬儀は近親者で営む。

喪主は長男広信(ひろのぶ)さん。

広島に原爆が投下された1945年8月6日の翌日に市内に入り、被爆した。

当時は13歳。

84年に「ヒロシマを語る会」を結成して証言活動を始めたのを機に原爆ドームの絵を描き始めた。

88年には米ニューヨークであった国連軍縮特別総会に被爆者代表の一人として参加。

92年には北朝鮮在住被爆者の調査団の一員として訪朝した。

これまでに描いた水彩画は3000枚以上。

晩年は老人ホームに入って描く機会は減っていたが、
2017年10月、
児童約400人が原爆の犠牲となった広島市立本川小に「人生の集大成」としてドームの油絵を寄贈した。

「被爆者として生かされた。

惨状を伝えるドームを描くのは私の責務」

と語った。

17年7月に国連で採択された核兵器禁止条約に日本政府が賛同しないことにも懸念を示していた。

今回は、原爆ドームを描き続けた画家・原 広司さんについて調べてみました!

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原爆ドーム画家:原広司が死去!死因の悪性中皮腫とは?

原さんの死因である「悪性中皮腫」とはどんな病気なのでしょうか?

「がん情報サービス」によると、悪性中皮腫は癌の一種であり、早期発見が非常に困難な病気のようです。

中皮細胞から発生するがんを「中皮腫」といいます。

以前は、
中皮腫には悪性と良性があると説明されてきました。

しかし現在は、
中皮腫といえば悪性腫瘍を意味します。

また、症状としては以下のものが挙げられます。

■胸の痛み
■胸の圧迫感
■咳
■胸に水が溜まる
■呼吸困難

上記の症状は悪性中皮腫以外にも現れるため、初期の段階では癌か否かを判断することが非常に困難なのです。

悪性中皮腫の早期発見が難しいのはこのためです。

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経歴+プロフィール※若い頃の画像あり

原さんの経歴を調べてみても、詳細なプロフィールは公にされていませんでした。

ただ、「朝日新聞」の記事より「広島工業学校」に通われていたことが判明しています。

1945年春、
原さんは千田町(現・広島市中区)の県立広島工業学校(現・県立広島工業高校)の建築科に進学した。

「一生懸命、先生から色んなことを教えてもらおう」。

意気込んで入学したが、
机に座ったのは2カ月だけ。

それからは建物を壊す家屋疎開に追われた。

(2015年3月25日配信)

また、同紙には若い頃の画像も掲載されていました。

ちなみに、原さんは2002年にも癌を患い入院していたことがありました。

すべてが順調に来たわけではない。

5年前(2002年)にはがんで大腸を20センチ切除した。

今も首の後ろなどに影があり、通院を続けている。

原さんを突き動かすのは

「生き残った被爆者として、

『核と人類は共存できない』

という崇高な理念を次の世代に伝える責務がある」

という思いだ。

※「http://www.soto-shu.com」より引用
(2007年8月掲載)

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