【画像↓】獄死した金子文子の死因とは?朴烈は粛清?

あの人の訃報や死因

こんにちは。IVEです!

今回は金子文子さんを取り上げます。

大正時代の社会主義思想家および無政府主義者として知られる彼女ですが、その半生が映画化され世間の注目を集めています。

このことについて2019年5月12日に配信された「with news」は次のように報じています。

映画「金子文子と朴烈」は、
大正時代、大逆罪で死刑判決を受けた日本人と朝鮮人が主人公で、実話に基づいた作品です。

日本では「不敬だ」という理由で街宣された映画館が出ました。

韓国でも

「日本を良く描きすぎだ」

と怒る人が現れたそうですが、実際には大ヒット。

女性客も多いそうです。

韓国で235万人を動員し、
日本でもロングランを続けるこの不思議な作品の魅力は何なのか?

〈1923年の東京、
社会主義者たちが集うおでん屋で働く金子文子は朝鮮半島出身のアナキスト(無政府主義者)、朴烈に出会う。

当時日本の植民地の出身だった朴は日本で差別を受けることも多く、
権力や当時の政府に対する憤り、
そして社会を変えたいという強い意思を持っていた。

文子は、そんな朴烈にひかれ、
同志となることを決める。

その年9月1日、関東大震災が発生。

10万人を超える死者・行方不明者が出て東京は大混乱に陥る。

当局は震災による人々の不安を鎮めるため、
朝鮮人やアナキストらを捕らえはじめ、
文子と朴の2人も拘束される。

――「金子文子と朴烈」公式サイトより〉

今回は、大逆罪で死刑判決を受けた金子文子さんについて調べてみました!

金子文子は獄死!しかし死因には不明点が

大逆罪により死刑判決を受けた金子さんでしたが、その後に減刑されたため、無期懲役となっています。

朴烈と金子文子はやがて、
皇太子暗殺を目論んだ罪で起訴され、
1926年に死刑判決を受ける。

だが、
わずか10日ほど後の4月5日に恩赦によって無期懲役に減刑された。

※「第5回 金子文子と朴烈(上野の二人 中編)」より引用
(2018年5月10日掲載)

2人とも検挙された当初は十分な逮捕理由がありませんでした。

しかし、予審中に朴烈 氏が「大正天皇」および「皇太子」の暗殺を口にしたため、起訴されるに至ったのです。

■朴烈

その際、内縁の妻であった金子さんも天皇制を否定したことから、彼と共に起訴される結果となりました。

最終的に金子さんは無期懲役となったわけですが、栃木刑務所内で”獄死”しています。

当初、彼女の死因は「自○」と公表されました。

ところが、その死因には不審な点があり、医師が再び死因を調査することになったのです。

死刑が恩赦になったのに、
それから3か月余り後の7月23日ごろ、文子は死んだ。

先回の連載で「自○した」と書いたが、
実は、その明確な証拠はない。

また、
それが正確に何日だったのかも、よくわかっていない。

栃木刑務所は初め彼女の死を公表せず、
後になって縊死による自○、遺書はないと発表した。

だが弁護士の布施辰治や同志たちは疑問を持ち、
刑務所側と交渉し、
すでに埋葬されて一週間ほど経っていたと思われる遺○を掘り出し、
医師が調べたが、正確な死因はわからなかった。

※同上より引用

上記の通り、金子さんが獄死したことは事実ですが、その死因は現在でも不明なのです。

朴烈の死因とは?

内縁の夫であった朴氏は1974年に死去されました。

一方、朴烈は1945年まで獄中で生き延び、
在日本大韓民国民団の初代団長を勤めた後帰国したが、
朝鮮戦争の際に北朝鮮に連行され、1974年に死去した。

北で重責を担っていたが、
粛清されたともいわれている。

※「第5回 金子文子と朴烈(上野の二人 中編)」より引用
(2018年5月10日掲載)

彼も場合も死因については公表されておらず不明ですが、一部では粛清(暗殺)されたとの声も上がっています。

最後までお読み頂きましてありがとうございます(^^♪